Ceramic moon Plastic stars

大体漫画とかアニメの感想を書いてます。こう、妄想が溢れそうになった時の受け皿としても活用。

神を壊す者。

<最終回までの話>
週刊少年ジャンプ 2022年10号、「破壊神マグちゃん」が最終回を迎えました。

正直な本音としては、まだまだずっと続いてほしかったし読んでいたかった。
ジャンル的には「非日常の存在がいる日常コメディ」なので、日々の暮らしやイベントを描く事でもっと話を増やす事はできたし、繋げていく・広げていく事も出来たと思うのです。
しかし、上木先生はそうはされなかった。

 

人気とか編集部の事情とか、はたまた先生のお考えがあったのか…「何故終わりとなったのか」、その理由は分かりません。
ですが、きっと、この流れは「マグちゃん」という作品のあるべき形だったのだろうな、とは思っています。

 

上述の通り一ファンとして作品が盛り上がる事、ずっと続いていく事を望んでいた私からすると、連載中の話の展開は割とひやひやさせられるものでした。
もちろん話は面白いのです。コメディとして一定のクオリティを保ちつつ、ゆるい邪神達の可愛さに癒されましたし。
ゆる面白い日々の中に差し込まれるシリアス展開にはヒヤリとさせられましたが、ちゃんと笑いで落としてくれるのが流石であり、面白かった(ややもするとメタネタだったりもしますが)。

 

…ですが。実はこの作品は普通の少女と特異な存在との交流、変化、成長の物語という側面(いや、いわば本質)を持っていて、それが非常に恐ろしかった。
この恐ろしさとは、漫画読みとしての恐怖。つまり、「大好きな作品が終わってしまう」という常に付きまとう不安です。
エピソード(ネタ)が続く限り延々と続けられる日常コメディを思わせながら、1話の時点ですでに「少女と邪神が仲良くなる物語」と結末(命題)が提示されてしまっているのです。
そしてその通りにマグちゃんは流々を通して人々と交流を重ね、人を知っていく。感情を重ねていく。
かなり丁寧にキャラクターの心情や立場の変化を描かれていて、特に時間を止める事(いわゆる"サザエさん時空う")無く、変わりゆく事が表現されていました。
定命の存在と久遠の存在という時間軸が違う者がいる以上、「まともに時間を進めてしまえば」、いずれ決定的な差が生まれてしまいます。
それがどうしようもなく感じられて、作中で季節が移る度、キャラクターが成長する度、嬉しくなりながら同時に「そんなに急がなくても…」と思ったものでした。
…具体的に言うと、上位6柱の登場はもっと勿体つけても良かったんじゃないかなぁ、って…(でも、皆キャラ立ってて面白いんですよねぇ…)。

 

そんなわけで、予定された来るべき時が来た、とは思っているのです。

 

<「完」と最終回>
最終回一つ前、76話。
…いやもう……混乱しましたよね。いきなり時間が進んで卒業式。明らかにオールスター出演の大円団の気配が感じられ、「いやいや……これはちょっと、おいおい…?」なんて脂汗浮かべながらページめくったら、「ドーン」で「完」ですよ。
訳分かんなくて放心。読み返しも出来なかったです。

いや、話の内容は分かるんですよ。ドタバタで楽しかったなぁ。…でも、なんで終わるの? まだ話は続けられるじゃないですか、高校編でもいいじゃないですか。「完」っていったい? 「もう少しだけ続く」って…?

凄く都合のいい本音を暴露しますと、掲載誌変更(ジャンプ+とか)や第二部開始みたいに、形を変えて続くのでは…って思ってました。
でも、同時に、掲載誌を変更する理由がないし、第二部にする理由もないって何となく思っていて。
…何より、「完」は何なんだろうと。終わりを告げているのは間違いない…。

 

で。
事ここに至ってみると、最終回1つ前はコメディとしての「完」であり、最終回は「破壊神マグちゃん」という物語の最終回だったのだなぁ、と(青井さんも同じ事言っててなるほど、と)。
ドタバタコメディはドタバタコメディとしてちゃんとまとめを描き、別の回を設けてキャラクター達の人生やその結論を終わらせてあげたかった、という上木先生の気持ちが「完」と最終回にはあったように思うのです。

 

<そして最終回>
ようやく最終回そのものの話になりますが。


恐らくこんな風になるのだろうな、と思ってはいました。ドヤ顔するわけじゃなく、刹那と永遠を生きるものの関係を描く以上、別れは避けられないので。
ダイジェストで描かれる流々とマグちゃんの日々。…細かくツッコミ入れたいところは多々あるのですが(ネタ多過ぎ)、あえて触れません。
時がうつろい、いよいよ最期の時。
いつものように何気ない日々の美しさを伝えるマグちゃん。その後の「まだ」から察するに別れが迫っている事は理解していたのでしょうが、それでも普通の事を繰り返す姿に切なさを覚えます。
だからこそ、「頼む」の一言が余りにも切実。正直、「えっ、マグちゃんはそんな事言わない…」と思ってしまいましたが…。


ページをめくり、大きな目に涙を溜めるマグちゃんの姿に思わずもらい泣き。

 

傲岸不遜さをかなぐり捨て頼みこんででも、流々が失いたくない存在であった事。喪失に耐え切れず初めての涙をこぼしてしまうほどの孤独を感じている事。
それらがあの1コマで強烈に訴えてきました。
耳(?)が垂れ、俯きながらトボトボと歩を進める姿。
小さいながらも常に上から目線だったマグちゃんが初めて(かき氷以外で)見せる落胆の大きさが見て取れます。

 

流々を「軛」って言っちゃうウネさんは…何というか…ドライというか。
大切な人を喪ったのだからその悲しみに共感してくれても…と思いもしますが、これまでも人間と邪神の調整役として振舞ってきた彼女(?)からすると、間違いなく流々は押さえだったのでしょう。だから危機感もあってあの言い方になってるのかなぁ、と。
ある意味、ただ無言で涙を溜めているミュッさまの方が悲しみに共感しているように思えます。


…実際、ウネさんとミュッさまは他の邪神よりも人に関わってしまっているから(対極的ではあるけども)、「こうなる事は分かっていた」のでしょう。
ミュッさまは本来の目的からすると封印には反対してもおかしくないのですが、…きっと、ミュッさまはミュッさまで流々という存在の喪失を悲しみ、マグちゃんの無力感を共有していたのかもしれません。

 

そして、マグちゃんは自ら封印される事を選び。
流々がいない世界に一人居続ける事に耐えられず、初めてでそして最大の悲しみを堪えきれず…死がない故に永劫の封印を望んだのでしょうね…。

 

マグちゃんもここに至るまでの間に、きっと幾つもの別れを経験しているはずなのです。
恐らく、錬もチヌもすでに亡くなっているのでしょう。
57話で轢かれそうになるチヌを身を挺して救ってましたから、チヌにはかなりの思い入れがあったはず。チヌが亡くなる時もやはり落ち込んだり、無力感に苛まれたりしてたんじゃないかな、と。
それでも流々がいたから悲しみを堪えられたし、一人にもならなかった。
…だからこそ、流々がいなくなるという事はマグちゃんにとって、これまでにない喪失になりえたのでしょう。

100年にも満たない、ほんの瞬き程度の時間だったはずなのに、流々がこんなにもマグちゃんを変えてしまった…。

 

事ここに至り、宮薙 流々という少女がいかにとんでもなかったかと気づくのです。
当初、強大な破滅の力を持つ邪神だという事を理解せず、無邪気にマグちゃんを受け入れているだけ(と言っても凄いのですが)なのかと思っていましたが。
ユピススとの会話の中で、実は彼女がマグちゃんを自分と決定的に違う存在だと理解している事が示されました。その上で尚同じように生きようという懐の広さ。
…しかし、言い換えればそれは自分の弱さを補うために、絶対になくならない軸・根拠としてマグちゃんを利用したとも言えるわけで。

その結果、流々は自身の孤独を破壊してもらい、マグちゃんは孤独を得る事になってしまった…。小さな少女は強大な上位存在に癒されない悲しみを与え、無力化してしまったのです。
何と恐れを知らぬ行為でしょうか。

 

ま、その後、「マグちゃんが覚えている」事で流々は「存在」し、マグちゃんの孤独を癒すので、そんな大それた話ではないのですけれども。


再び「マグちゃん」と呼んでくれる人と出会う時、また忙しない日々が始まるのでしょう。
…狂乱食堂が残っているのが、ただ素直に嬉しい。


あぁ、本当に素敵な作品でした。
異文化コミュニケーションの楽しさ、面白さがありました。そして変わっていくことの素晴らしさを見ました。

…色々まだ思う所はありますが、まずは上木先生お疲れ様でした。
追加エピソード、次回作、楽しみにしております。

楽しい楽しい&楽しい!

2022年1月23日 20:00~(JST) に開催された、柚子花主催LIVE "Planet Station STAGE.1"のMarprilセクションの感想。
※他出演者の皆さんも良かった!

 

久々にビジフレのライブが見れるという事でそりゃもう楽しみに…しつつも、少し不安を抱いていたりもしました。
正直な所…うん。二人は修行してると思ってはいても、つい。

 

ですが、なんというか…変っわんねぇなぁ、二人とも!

1曲目:spctrumからキレッキレでした。カッコいいの一言しか出てこない。
…いや、ホントカッコよくてですね(語彙力)、…カッコいいんですよ。
曲がすっごい雰囲気出てていいし、とにかく動く。画面映えが凄い…。

 

そして2曲目:シンフォニア
いやぁ悪い、悪いわー。立花悪いー。足癖悪いー。
アップでハンドサイン込みの流し目かけたりとか超悪い。惚れる。
対比で谷田の高音がスーッと覚ましていく感じが強まって、これはかなりのハマり具合です。
立花の感情の乗せ方、すっごい好きですね。

 

で。
ここまでの2曲を踏まえ、ビジフレを知らない人たちにカッコよさを叩きつけてくる編成なのかな、って思ったわけです。今回主催じゃないし。

 

そしたらMCで、「谷田!」「たーーーーちばな!!」(大声)ですよ。
それからゆっるゆるのトーク
つい、笑っちゃって、安心しちゃう。
あぁやっぱりこれがMarprilだなぁ、って。
いやもう、二人のテンションの高さ、楽しさが手に取るように感じられて…楽しいって言うしかないんですよね。
…というか、普段よりグダらずにしっかりまとまってたような気がする(笑 伸ばして皆に迷惑かけられないと思ってたのかも。

 

3曲目:sheep in the light
今更ですが、最初PV見た時に凄い動くな!って思ったものですが、またしても上手くなってる。
細かい事は分かりませんが、全体的に無理が無くなったような?
流れるようにスイッチしたり、シンクロしたり。
修行の成果がでてきてるんでしょうか。
あと、谷田のターンがすっごい綺麗だった…。

 

4曲目はcity hop。
ポップチューンで立て続けにグワングワンさせてきます。
ずっと楽しくなりっぱなしですね。ホント。

 

ラスト、Love Meter。やらないかな、って思ってました。なんか盛り上がり過ぎるような気がして。…何の問題があるんだろうなぁ、今思えば(苦笑
ここまでカッコいい、凄い、で感情ぶっ叩いてきた二人と同一人物が、可愛さ全振りで足払いしてきました。
…冗談抜きで可愛いんですよねぇ…。普段のポン…抜けた感じとか、カッコイイ感じと比べて、じゃなくて、単純に可愛い。
「普通の少女」感が凄いんだ…。
キュートって褒められて最高です(うわキモイ)。


どうしてもあっという間に終わってしまった、って思ってしまいますが、その分密度がめちゃくちゃ高かった。瞬間最大風速が危険域でした。
ずっと楽しい空間と時間を作れるって、凄い事だ…。


今回、Marprilの演者としての力量、魅力も素晴らしかったですが、舞台演出、特にカメラワークが素晴らしかったと思います。
常時姿勢もポジションも変わり続ける二人を画面にとらえ続け、引いて互いの位置どり、距離を感じさせ、更にはドアップまで!
アップで立花の流し目、谷田の微笑を見れるという…なんというありがたさ。
改めて推しが可愛いと再認識させていただきました。ありがとう、ありがとう…!


総じて良いライブでした。何より楽しかった。
すでにSTAGE.2の開催が決定しているらしいですが、またMarprilを呼んでもらえると嬉しいですね。
また、Planet station自体も今まで知らなかったVの人を知る機会になって楽しみです。

…しっかし…こうしてみると、抜きん出てゆるい感じするなぁ、Marpril(苦笑

 

(1/25追記)

アーカイブ見返すと、兎に角二人が楽しんでる、皆も一緒に楽しくなって!って全力でオーディエンスを引っ張ってる感じが強いなー、って改めて思います。

全然躊躇がないんですよね。テンションの高さをぶつける事に。

照れも戸惑いもなく、「私たちはこれが楽しいと思ってる、だから楽しんでって欲しい!」って表現してると思います。だから声がでかい(笑

なんというか、パフォーマーとして凄いポテンシャルを見せつけられてる気がしましたよ。

 

それから、「カメラワークが素晴らしい」と書きましたが(もちろん素晴らしいのだけど)、よく考えたらステージを四方八方に動き回りながらキッチリカメラに向かってキメ顔するのってかなり大変な事では?

きっと何回もリハしてたんだろうなぁ。頑張ったんだなぁ。

 

なんかこう…自分も頑張んなきゃ、って思いますね。………明後日くらいから。

BD版「ポンポさん」が(我が家に)きったぞー!

…改めて見ると、物凄いエゴだなぁ。

(誤解を避けるために先に書きますが、凄い面白いです。ナタリーホント可愛い)

 

「映画大好きポンポさん」のBDが届いたので、改めて観たのですが。

 

前半については、相変わらず原作を非常に上手く映像化したなぁと(一点、あのシーンがアレなのはやむなしとして)。

しかし、後半、つまり編集に入ってからについては、劇場で観たときと違う印象を持ったので追記したいと思います。

本作の最大の山場であるジーン君のわがまま。
これのおかげで金・時間・手間…莫大なコストが必要になりました。それがどれだけの困難であるかは明確に描かれ、それをどうやってフォローするかという事がメインタームになるわけですが…(ここがつまり、原作との違い、オリジナリティ)。
この時点で相当にクレイジー

が。

この選択、コストが新たに発生するどころか、そもそも作品を公開できない可能性があったわけです。多くのスタッフの努力、ヒロインとの約束…それら全てを白紙に戻す、無駄にするかもしれない、というリスク。こだわりを捨てさえすれば、すでに名作・受賞作になると明言されている作品なのに。
それでも、「ただ自分の作りたい映画を作りたい」というエゴを「通してしまえる」という…これ、普通の感覚だと常軌を逸してますよね?(少なくとも私はそう感じる)

 

原作の話になってしまいますが、2巻のジーン君のやらかしには同情出来る点があるので、彼の暴走も何故か前向きに受け取れてしまうのですが。

それに対し、この劇場版におけるジーンの行為はといえば。
視聴者(私)は前半で(ジーンを含めた)皆の努力や創意工夫、映画に賭ける思いを見ています。だからこそ、素晴らしい映画になるだろう、なってほしいと願いました。
ところが…それを全部台無しにしかねない事をやったという意味で、ジーンの選択は今更ながらに恐ろしい。
…気に入らない映画を没にした、という事より、(自らも)素晴らしいと思っていた映画を闇に葬ろうとした、という事の方が危険度は高い…。

 

以前、劇場版の感想を書いた際には、「原作に比べて狂気が薄い」とかいう事を思っていましたが、それ、間違ってたなぁと。
結果的に上手くいった(エンタメ的に面白かった)から誤魔化されてるけど、やってる事は劇場版の方が遥かヤバい。

 

更に言うと、元は「ナタリーのあのシーン」のためにあった映画が、ジーンの思いを表現するために編集された、というのも気になるところ。
もしかすると、原作で描かれた(私が思っていた)「MEISTER」と劇場版で出来上がった「MEISTER」は違っているかもしれません。
「リリィ」がメインじゃなくて、「ダルベール」がメインの映画になってそうな気がする。

 

観てみたいなぁ、「MEISTER」。
…ナタリーのあのシーンが切られてたら泣きそう。

徹頭徹尾優しくて暖かい

疲れまくってる身には染みる…。

 

「映画すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」を観てきました。
相変わらず姪っ子達がいるとこういう映画観に行く時助かる……一口もポップコーンくれませんでしたが。

 

ともあれ映画ですが、すみっコぐらしの登場キャラクター(すみっコ)達が暮らす街にまほうつかいがやってくる話です。
「例によって」…という切り出しが実は使えないな、と今更ながら。
というのも、そもそもすみっコ達の性格やキャラクターはこれまでに描写されていても、どんな風に生活していて何を食べているのか、とかそういう情報はほとんどなかったわけです。

 

…だからこそ、この映画ではすみっコ達の日常が描かれている所に意味があります。
「あ。皆、同じところに住んでるわけじゃないんだ」とか「いつも部屋のすみっこに座ってるわけでもないんだ」とか。
何より驚いたのは、「すみっコ達の世界には他に住人がいる」という点。
考えてみれば当たり前の話ではありますが、すみっコ達は「メジャーであったり当たり前である所にはいられない」はみ出した存在なので、「そうじゃない」普通の人(キャラクター)達がいるわけで…。…そのキャラクター達がモノクロとはいえ描写されていることに何となく「おぉ…」と思ったのでした。

 

閑話休題
そんなわけで今作は映画版ゲストキャラクターのまほうつかいのコ・ふぁいぶがやってくることによる出来事を主題にした…ようにみせて、実はすみっコ達がどんな風に暮らしているのか、何を夢(目標)にしているのかにクローズアップした作品になっています。
日常描写に重きが置かれているので、メインキャラ以外のすみっコも大勢出演。
とかげ(本物)は知ってましたが、かわうそとか知らなかったなぁ…。個人的に「やま」が大好きなんですよね。なんでキャラクターとして成立しているのか意味不明過ぎて(笑)
街の光景も穏やかで、ゆっくりと時間が流れているのが分かります。楽しそうなところばかり。

 

そんな世界にまほうつかいの世界からやってくるまほうつかい達。
上手く魔法が使えない「ふぁいぶ」はコンプレックスを抱えながらも頑張ってる。
ふぁいぶとすみっコ達のいわばコンプレックスからくる夢、行動原理を軸に話が進みます。

 

…何気にえっぐい事が起き、キャラクターが崩壊。真面目に考えたら笑い話じゃないんですが…ぺんぎん?に眉毛が描かれてるだけで笑えちゃうわけで、この辺、キャラクターの持ってる力(イメージ)って凄い。
他の作品ならこの辺の葛藤・問題解決だけでかなりの時間を費やすと思うのですが、そこは作品のイメージというか、鑑賞者の年齢層に合わせて?サクッと解決しちゃったのが、個人的には少し物足りなく感じるところ。逆にあっさり解決したことが面白くあったりもして…あれ? どっちやねん?

 

いずれにせよ、可愛く優しく、丁寧に作られた映画でした。
75分くらいで観れるという事もあり、ストレスフリー。疲れた時に観るとオススメかもしれません。

 

 

で。これ完全に余談なのですが。

 

…多分、どうしても前作「とびだす絵本とひみつのコ」と比較されてしまうと思います。
正直、胸に刺さるのは間違いなく前作。物語が切なさに振り切ってて、泣かざるを得ないところがありました。
しかし、あえて言うなら。
前作は完全に映画版・劇場版として全力で作成されており、そのために「すみっコぐらしにおける異世界」を作成して描かれています。だからそこに出会いと別れ、冒険とワクワク感があって、涙もあった。

 

対して、本作は(繰り返しになりますが)すみっコ達の日常にこそ重きが置かれているため、どうしても非日常的な驚きは少なく、感情の揺さぶりは弱いと言わざるを得ません。…しかし、その分、キャラクターの深い掘り起しが出来ていると思うのです。

 

いわばこれは、(他作品を引き合いに出すのは良くないですが)テレビ版ドラえもんと劇場版ドラえもんの違い。
テレビ版でコメディ、ギャグに笑い、劇場版でのび太の勇気とジャイアンの男気に泣く。そんな感じ。
テレビ版が無いすみっコぐらしですから、食べて、遊んで、寝る、いつものすみっコ達を描いている事にこそこの作品の価値があるんじゃないかな、と。

 


何て言うのかなぁ…最近の「泣き」が入ってこそ名作、って風潮は、作品を正しく評価してるとは言えないんじゃないかなぁって思ってて。

電気羊の夢はあまりに楽しくて

2021年9月19日 19:00~20:30(JST) に開催されたMarpril 3rd Live 「Electric sheep club」の感想。
※殴り書きの感想になっています。個人的な備忘録に近いので未見の人とかへの優しさは皆無です。ご了承ください。

 

この楽しさはまさしくライブというか、現地にアーティストとファンが一緒にいるから生まれるものがあるなぁと思ってしまい、配信閲覧の我が身に悔やんだりするわけですが。

 

<START前>
コロナ・安全対策、エチケットのついての諸注意が表示される、と。
…そういうご時世なんですよねぇ。うーん。
それでもこうして開催できたことは喜ばしい限りですね。

 

クラウドブレイク
開幕この曲って最適解だな……って思った次の瞬間、他の曲も全然良いやん、とか思ってしまう。
や、でもやっぱりこの疾走感、最初っから飛ばしていくぜ! っていうライブにかける二人が叩きつけられる感じでいいですよね。

 

ビックルーム・フォンデュ
この曲、Marprilの曲には珍しく艶めかしい印象。
ダンスもキレや速さより流れをじっくりと魅せる感じで雰囲気あるなぁ………って、え? 振付、二人が考えたって? うせやろ…(失礼な)

 

シンフォニア
立花のガラの悪さが最高っていうか、この声力(こえぢから)ときたら。只者じゃなさ満点ですよ。
だからこそ谷田の高音と透明感がまた映える。この対比、そして対極を描く二人のトーンが混じるサビのカッコよさったら。
ホントナイス治安の悪さ(いいのか)。

 

MC1
安定の緩さ…いや、これ緩いっていうかノリが変わってるだけでグダグダにならずにキッチリやれてるんですよね。
今更だけどトークスキル結構高いわー、ビジフレの二人。
諸注意すらネタに組み込めるとこ、好きだわー。

 

Throwback
立花の高音、好きー(どっちでもいいんか)。
音源じゃなくてライブの時特有の「続くよ」の高音の伸びが凄く好きなんですよねぇ

 

Irony
うっわ、色っぽ。
曲やダンスの完成度とか(もちろん高い)とは別に、二人の雰囲気に鳥肌が立ちました。
最後、二人がスタンス入れ替えるとこ凄く良かった…。

 

city hop
凄く普通に見ちゃってるけど、Bパート3曲目でこのダンスのキレ、息切れのなさ、尋常じゃないよなぁ…。


MC2
この娘ら、というか岩本町芸能社はホント真面目というかファンと芸能というモノに対して真摯だなぁと。
目標だとか大切にしている事を、折に触れて自分たちの言葉で伝えてくれる。
岩本町は信じられる、ついて行けるって思うんですよね。

 

ブレーカーシティ
これはもう、入りが反則。
…ちょっと話の筋がズレてしまいますが、Marprilの新しい可能性を見たような気もしています。
つまり、テクノ・ダンサブルパフォーマンスだけじゃなく、しっとりと聴かせ・見せる、クラシカルな表現も二人ならできてしまうのでは、という。

 

ナミダ・アーカイブ
現場にいないのが悔しくなりました(間奏のペンライト振り)。

 

キミエモーション
曲が大好きなもので凄く嬉しくなってしまうー。
ライブで聴くとまたいい。
立花の体を投げ出すようにターンするステップが超カッコいいし気持ちいい。
谷田はちょこちょこ笑顔で可愛いったらありゃしない。
あとエフェクトの演出がえらいオサレだったなー、と。

 

MC3
無茶ぶりがひどいw>折り返し通知


Girly Cupid
これ、会場の皆さんもどかしかったろうなぁ…(苦笑>WA! WA!
それでも7つのお約束を守るファンの民度の高さが嬉しい。
あと、ビジフレ達は不意打ちで可愛さぶっこんでくるの、ホント酷いw
やー、楽しい楽しい。

 

Spectrum
いっや、これめっちゃくちゃカッコいいな!!
もともと曲のビートも好きなんだけど、ダンスのキレとモーションが凄過ぎる。
やー、これホント会場、目の前で観たかったぁ! …観たかったぁ。

 

MC4
あ。なるほど。
キミエモーションと同じ振付の人なのね>spectrum
好きなとこ言い合いターンのワチャワチャっぷりが実にいつか見た動画感(笑

結局「汚くはある」って言っちゃう流れ最高です。

あ、「茶番に付き合わされる」の流れも最高(笑


Love Meter
可愛い以外にいう事あるか!?(誰に聞いているのか
いや、曲自体が可愛さ振り切ってるんだけど、よもやのエビフライと一反木綿復活ですよ!
この衣装の方が確かに曲のイメージに合うし、普通の女の子の恋愛模様って感じが甘酸っぱさ増し増し!
二人の元気な動きがまたたまらない…。
この演出はホント神がかってましたねぇ…凄いわぁ。

 

Hacked Fruity Luv
これまたサプライズ。
大好きなんで嬉しい嬉しい。ふたりのコーラスが可愛くて綺麗で元気が出るんですよね。
谷田もラップの練習の甲斐があったねぇ。

 

sheep in the light
1stの曲を最後に…と思わなくもないけど、ふっつーに最新曲と一緒に聴ける完成度の高さ。しかも違う味付けになって違う魅力を感じさせてくれるという。
しかもそれを旧衣装で観れるありがたさ。…と言いつつ、個人的にはあえてこれを新衣装で観る楽しさの方が強いのですけども(単純に新衣装(ショートカットの髪型)が好きっていう)。


END CREDIT
チャットコメントにもありましたが、「presented by 岩本町芸能社」と表示されたところで一際拍手が大きくなるの、良いなって思いました。

「"Jin-Gi"ってやつ」

すでに公開から7年も経って感想を書くのも鮮度がなぁ…と思いつつ、流れに乗れないのはいつもの事なので気にしない!
(ついでにネタバレを気にすることもない!)


というわけで、今更「楽園追放-Expelled from Paradise-」を観たんですが…面白かったというより、悉くがツボに嵌まりまくる作品でした。
「こういうのが観たかった」じゃなくて、「(私は)こういうのが観たかったのか!」と気づかされるような感じ。
つくづく公開当時に観なかったのが悔やまれます(早速冒頭の開き直りを否定)。

 

3Dとは思えない自然な画面、必要最低限の説明で惹き込んでくる魅力的な世界観、落ち着きのないカメラワーク…そして何より異文化コミュニケーション。
肉体を捨て進化した新人類と、生命の檻に囚われ滅びゆく旧人類。彼らの間で交わされる会話、意思の疎通が嫌味が無く、面白さを備えて私に届くのが何とも楽しい。
そんな彼らがいずれでもない新たな知性・生命と出会った時、何を選ぶのか…というストーリーが、私の中で燻るSF魂が再び燃え上がらせたのです(まだ他のSFに延焼してないけど)。

世界のバーチャルスペース化、魂(意識)のデータ化、文明崩壊後の世界…これでもかとばかりに「未来のお話」ですが、描いていたものは「人間とは」「幸せとは」という古来からのテーマでした。

 

で。
そのテーマからすると、「楽園」は否定されてるのですよね。そりゃもうボッコボコに。

 

割とドヤ顔で、アンジェラは「楽園」サイコーと舐めプしてるわけですが、ディンゴは全く意に介さない。
彼女を恐れ敬うどころか、本来触れる事すら叶わないような機密兵器をあっさりくず鉄に変えてしまう。
(この時点でディンゴに対するアンジェラ個人の優位性は失われているわけで)
それでもくじけないアンジェラは、死も老いもない、あらゆる知覚が拡張されるディーヴァの生活こそが人類の新たなステージだと力説するわけですが…。

 

アンジェラとしてはアーハンもディーヴァのバックアップも失い、自分の信条・価値観以外に依って立つものが無くなってたんだろうなぁ、と(素でもあるだろうけど)。だから必死にディーヴァの(ひいてはディーヴァ市民である自分自身の)素晴らしさを認めさせようとするし、同時に地上の人々は滅びゆくしかない、と断言し、ディンゴを見下す。
彼女自身には(自覚してないとはいえ)必死になる事情があるものの、現時点では解決策を持たず無力な存在に過ぎない彼女のこの態度は、客観的に現実が見えていない傲慢な物言いと受け取られてもおかしくありません。
人によっては失望して見捨てたり、激昂して害をなす可能性すらあるかも。

 

しかしディンゴはそうしない。
もちろんアンジェラを見放しても得られるものがありませんから、平静を保って仕事に徹するのが大人の態度。
ですが何より、彼自身が彼女の信じているものを「嘘っぱち」だと理解しているから、彼女の言葉を「戯言」と聞き流せてしまうのでしょう。少なくとも、アンジェラが素晴らしいと言うものは、何一つディンゴの心を動かさない。
彼はアンジェラ…と言うより、ディーヴァとその市民を嘲っているように思われます。


本来、二つの異なる価値観・信条がぶつかる場合、それぞれの素晴らしい点・劣っている点を同じように比較すべきだと思うのですが…。
ディーヴァの並べ立てられた素晴らしい点は、全て「嘘っぱちだ」という一言で全否定できてしまいディベートが成立しない。
これは決定的な論理でアンジェラも反論が出来ません。その瞬間、ディーヴァが楽園ではないと認められました。爽快感を覚えるほどバッサリと。

 

とはいえ。
ディンゴの言葉は彼が「自由を愛する」人だからこそ出てくるものであって。
飼い慣らされた檻の中で安穏と生きる事を望む人には、確かにディーヴァは「楽園」なのでしょう。事実、ディーヴァの市民は誰一人として乗船を希望しなかった。
…アンジェラはそれを肯定できなかったわけですが。

 


個人的に、自由と束縛を考えるにあたり「この形の楽園」で致命的だなと思うのは、「他の誰かに自分の人生を自由にされる」危険性があるという点。
ディーヴァの高官達は独裁を行いました。
「それはまぁよしとしても」。
実質的に全てのメモリとアクセス権を権力者に握られてしまっているディーヴァでは、自分の正義を押し通す事も、反抗する事も、逃げる事すらできません(フロンティアセッターという独立した外部からの介入がなければ、アンジェラも逃げられはしなかったでしょう)。
「肉体の檻」という制限で自己を区分していれば、自分の意思で抗う事も逃げる事もできるチャンスがあるのに(適うとは言わないけど)。
生殺与奪の権を他人に握らせる」事の恐ろしさを感じてやみません。

 


さてここまで考えた時。
ディンゴという男にとって、アンジェラという少女はどういう存在だったのだろう、と思ったのです。
これまで18回も保安局のエージェントに協力し、(素行不良とはいえ)優秀と評価された男。
その彼から見て、19回目の相棒はどういうヤツだったのか…。

 

この辺考えると、序盤の彼の言動はちょっと腑に落ちない。
少なくともディーヴァのエージェントというか、ディーヴァ市民がどういう連中なのか、というのは知っていたはず。
そう考えるとアンジェラが休息をとろうとしない、食事も否定する。挙句自らの不調にすら気づかない…といった、「奇妙」な振る舞いに驚いたりする事もないと思うのですが…。

これらのディーヴァ市民の生態、価値観を知らなかったのだとすれば…何故なのか。


考えられる点としては…
・これまでの任務はディーヴァとオンラインで行われていた(オンラインでも問題なかった)。
・エージェントは常にベストコンディションを保つことができ、生活面・サバイバル面でディンゴの助けがいらなかった。
・保安局からのバックアップさえあれば現地の案内以外は全知全能なので、コミュニケーションも最低限だった。
といったところでしょうか。

 

今回、事が重大だったがために(フルオプションのアーハンまで持ち出す事態)、ディーヴァとのコンタクトを絶たざるを得ず、アンジェラはディンゴにより強く頼らざるを得なくなり、結果として今までなかった関係性が構築された…という感じ?

 

で。そうだったとして。
初めて意思の疎通をしたディーヴァ市民・アンジェラは果たしてディンゴから見て興味を惹く人間だったのでしょうか。
…高露出度レオタードの金髪美少女(ろりー)という時点で過剰に掴みはOKなのですが、恐らくディンゴの趣味ではないような気がします(…でなければ、あぁも冷静に立ち振る舞えるわけが以下略!)。
では何故彼女に付き合うのかと言えば…単純に依頼主・金づるだから、という事になるでしょうか。
冒頭から「気前のいい雇い主は大歓迎だぜ」と言っていますし。
それ以外にディンゴがアンジェラを気に入るところは特にない。
フロンティアセッター探しに有益なスキルを持っているわけでなし、趣味が合うわけでもない。むしろ居丈高で命令口調、意地っ張り…。およそ「素敵な旅の相棒」という感じではありません。

 

…実際、物語冒頭では仕事の付き合いでしかなかったと思うのですが。
恐らく、ディンゴ個人の嗜好として、知らないものを知りたいという好奇心が強いのでしょう。だから知性を持ったAIに興味津々。
同じように(気に入らないとはいえ)ディーヴァ市民との会話をする事にもポジティブに興味があった。
そして、意外な事に高慢で意固地ではあるけれど、アンジェラはディンゴの話を聞くし、彼の事を知りたいと接触してくる。図らずも相互コミュニケーションが叶った事はディンゴにとって好感の持てることだったのではないでしょうか。

何度も言葉を交わし、それでも結局お互いが別の世界の住人だと別れ――「世渡り下手」だったと分かった時。同じものを大切だと思った時、ディンゴにとってアンジェラは命を預けるに値する「相棒」になったのだろうな、と。

 

対してアンジェラ。
何せとにかく可愛い。
外見は当然のことながら、いわゆる新人類としてのエリート意識を持ちながら、序盤から早速ディンゴに振り回され残念モードに。
意地と根性で乗り切ろうとする当たり、電脳化したキャラとは思えず、むしろ人間臭く見えます。
コロコロ変わる表情がホントに可愛い。七味に驚いたり、戦闘シーンの迫力ある表情とか。

何より、ディーヴァの価値観ではなく、自分で見て、感じて、考えて得た「正しさ」を貫ける純粋さ。
…確かに不器用だなぁ、と思うんですけども(苦笑


で。
結局ディーヴァを見限る事になるアンジェラ。
つい、彼女はディンゴとの交流を経て「偽りの楽園」を捨てる選択をしたかのように思っていましたが、実際の所はやはり追放されたのであり能動的にディーヴァを出て行ったわけではありません。出るしかなかった、ついでに八つ当たり。地上で暮らすことに気が滅入ってましたし。
ポジティブに道を選ばずにこれから先の苦難を超えていけるのかな、と心配に…。


…なったりもしましたが、アンジェラは地上を選んでいましたね。
肉体を捨て、電脳化する最後の機会だった銀河の果てへの旅ではなく、茶色く荒れ果てた未知の世界を、確かに。


続編作りにくい作品だとは思うのですが、アンジェラとディンゴが地上を生きていく姿、凄く見てみたい。
きっと、いつも愚痴って後悔しているのでしょうけど、タフに生き延びていきそう。
ついでにレストアしたニューアーハンが大活躍してくれたり、フロンティアセッターとは別の知性体と遭遇したり…。


いやぁ、久々に妄想やら考察が止まらないいい作品に出会いました。
…あと、円盤が手に入ればなぁ…。

上質のプロローグ

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」観てきました。

以下感想です

 

正直、期待し過ぎない心構えだったんですが(原作を考えればお察しいただけるかと)、予想以上に良い出来でした。


とにかく絵が綺麗。
キャラクターが美形、とかそういう事でなく(もちろんそれもあるけど)、風景や構図を含めて絵の作り方が洗練されているというか、カッコいいとか綺麗、っていう印象になるのです。


南国の陽射しの強さ、潮風の爽やかなだけでない微妙にべたつく感じを何となく覚える錯覚。
高級ホテルやシャトルのハイセンスな風景を描きながら、隣にはジャンクが並び、朽ちた民家の間の路地を歩くハサウェイの姿が。
説明なしで「U.C.0105の地球」がどういうものか分かる(気がしました)。

 

同様に、人々の暮らしや考え方がどういうものか、それをハサウェイがどう感じているか、それを一切説明さず、視聴者に悟らせるように描写してるのが上手い。

特に、自分が呼び込んだ「酷い事」をその場で感じ、呟くシーンは何とも言えないものがありました。

 

頭上でMSが自分達など構うことなく火花を散らし、避難したビルを踏みつぶし、噴射炎で通りを薙ぎ払う…これまでにない臨場感で手に汗。これはホントに「酷い事」だよ。
なるほど、地球・地上で市外戦をやるなら、こういう描写にするんだなぁ…。
同時にメッサーの挙動が実にカッコよく、空中でも地上でも見栄えがしました。ある意味、モノアイって左右に動くだけで「意思」を感じさせるので凄い。
ボロボロになりながらも、まさに奮戦する当たりがカッコよかった…。

 

個人的にギギはエロいとは思ったんですけど、それ以上に何か感じるものはなかったかなぁ、と。いや、徹頭徹尾フェティッシュというか、気を惹かずにはいられない言動ばかりなので…逆に落差が無くて惹き込まれなかったというか(めんどくさい

 

好きなキャラはエメとガウマンかなぁ。


そんなわけで新たなガンダムの序章としては上々過ぎる作品でした。
ガンダムらしくない一面を見せながら、宇宙世紀の間隙を埋める重要な物語になりそうです。
ファンなら観て損なし、かとー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、以下ネタバレ込みの感想。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2回観るか、と問われると観ないなぁっていう感じ。

面白かったのは確かに面白かった…のですが、刺さらなかったんですよねぇ。
これはもう好みの問題だと思うんですが。

 

まず、間違いなくダバオ市街戦は見所満載。
人の営みを破壊しながら、それぞれの命を獲る為にぶつかり合う巨人を見上げる感じ。いつ踏みつぶされ、爆風になぎ倒されるか分からない恐怖。MSのコクピットから見れば微かなスパークが、地上から見れば一瞬で我が身を焼き尽くす巨大な炎に見えるという斬新な感じ。
更にメッサーの四肢を動かして牽制、ライフル斉射…あくまでシールドを構えて直撃を避け堅実に挙動してるのがよく分かります。
結果的には撃墜されてましたが、単騎で3機を墜としてるわけですから、確かにケネスの𠮟責は正しい。ガウマン頑張った。…3部まで生き残ってるかなぁ、どうかなぁ。


で。

 

対して本来見せ場であるところのクスィーVSペーネロペーが今一つ。
夜間戦闘で機体が見づらかった事もあるのですが、そもそも完全空中ドッグファイトが好みじゃなくて。


もう、それをやっちゃうんならMSじゃなくてもよくね? って思っちゃうんですよね…。バルキリーどころか、普通に戦闘機でいいような(もはや主人公機&ライバル機全否定)。


高速機動そのものはカッコいいと思うんですが、それを人型兵器でやるのであれば、せめて手足を動かして挙動制御してほしかったと我儘を。
特にクスィーは手のでかさが特徴なのですから、もっと手を振る・突き出す…などなど、表情を出せたんじゃないかと思ってしまいます。
なので、サーベルで鍔迫り合いに持ち込んだ時はちょっと興奮しました(その後動かなかったけど)。

 

空中受領からカーゴを飛び出すまでの一連の流れは凄くかっこよかっただけに残念。
あ、あとファンネルミサイルのエフェクトと見せ方は好きです。効果音は…ちょっとくぐもってる感じがダサ…いや、味があると思いますが、ペーネロペーを追いかけるところを横から見せてて凄く良かった。


シナリオとか。
ホントに序章という事でしょうから、舞台背景やキャラクターをじっくりと描いた、というのは理解が出来ます。そしてドラマとしての完成度は高かった、とも。
しかし、キャラクターに感情移入が出来なかったんですよねぇ…。ある意味リアルに「人」を描いていたからこそ、内面なんてそうそう簡単に見抜けやしない、ということかもしれませんが。

 

ハサウェイがテロという行為に手を染めながら、自らが災厄を引き起こし、罪のない人々を苦しめている事に思い悩んでいる事を巧みに描いていたのは間違いない。
ですが、どうにも熱量が無い、のですよね。彼を矛盾した行動に走らせるものが何なのか、彼の背中を押すものが何なのか、が分からない。
地球環境への危惧? かつての過ちへの後悔? それとも過去からの強迫観念?
…いずれにせよ、「間違っている」と言われても引き返せない行為を止められない理由としては弱いように思えました。

2部・3部で彼の事情や行動がより詳細に描かれれば、ようやくハサウェイを理解する事ができ共感・感情移入できるのかもしれませんが。

 

どちらかと言えば、本来ヒロインであるはずのギギが絡む前半より、マフティーメンバーと合流した後のマフティーメンバー達とやり取りをしている終盤の方が楽しい・面白い。
謎めいた美女より一癖も二癖もある愚連隊の方が魅力的、というのも困ったものですが、腹の探り合いをしなくてよくなった分、会話のテンポが良くなってるのは確かかと(この辺も好みの問題、でしょうね)。


そんなわけで良くできた映画であることは間違いないのですが、私の趣味ではなかった、という第1部。
2部以降で熱い物語に化けてくれる事を願っています。
…あと、出来れば結末をどうにか…(と思うけど、これは無理だろうなぁ…)。


当面の問題は、あっさり墜とされたペーネロペーどうするのかな、っていう話ですけども(苦笑