Ceramic moon Plastic stars

大体漫画とかアニメの感想を書いてます。こう、妄想が溢れそうになった時の受け皿としても活用。

神を壊す者。

<最終回までの話>
週刊少年ジャンプ 2022年10号、「破壊神マグちゃん」が最終回を迎えました。

正直な本音としては、まだまだずっと続いてほしかったし読んでいたかった。
ジャンル的には「非日常の存在がいる日常コメディ」なので、日々の暮らしやイベントを描く事でもっと話を増やす事はできたし、繋げていく・広げていく事も出来たと思うのです。
しかし、上木先生はそうはされなかった。

 

人気とか編集部の事情とか、はたまた先生のお考えがあったのか…「何故終わりとなったのか」、その理由は分かりません。
ですが、きっと、この流れは「マグちゃん」という作品のあるべき形だったのだろうな、とは思っています。

 

上述の通り一ファンとして作品が盛り上がる事、ずっと続いていく事を望んでいた私からすると、連載中の話の展開は割とひやひやさせられるものでした。
もちろん話は面白いのです。コメディとして一定のクオリティを保ちつつ、ゆるい邪神達の可愛さに癒されましたし。
ゆる面白い日々の中に差し込まれるシリアス展開にはヒヤリとさせられましたが、ちゃんと笑いで落としてくれるのが流石であり、面白かった(ややもするとメタネタだったりもしますが)。

 

…ですが。実はこの作品は普通の少女と特異な存在との交流、変化、成長の物語という側面(いや、いわば本質)を持っていて、それが非常に恐ろしかった。
この恐ろしさとは、漫画読みとしての恐怖。つまり、「大好きな作品が終わってしまう」という常に付きまとう不安です。
エピソード(ネタ)が続く限り延々と続けられる日常コメディを思わせながら、1話の時点ですでに「少女と邪神が仲良くなる物語」と結末(命題)が提示されてしまっているのです。
そしてその通りにマグちゃんは流々を通して人々と交流を重ね、人を知っていく。感情を重ねていく。
かなり丁寧にキャラクターの心情や立場の変化を描かれていて、特に時間を止める事(いわゆる"サザエさん時空う")無く、変わりゆく事が表現されていました。
定命の存在と久遠の存在という時間軸が違う者がいる以上、「まともに時間を進めてしまえば」、いずれ決定的な差が生まれてしまいます。
それがどうしようもなく感じられて、作中で季節が移る度、キャラクターが成長する度、嬉しくなりながら同時に「そんなに急がなくても…」と思ったものでした。
…具体的に言うと、上位6柱の登場はもっと勿体つけても良かったんじゃないかなぁ、って…(でも、皆キャラ立ってて面白いんですよねぇ…)。

 

そんなわけで、予定された来るべき時が来た、とは思っているのです。

 

<「完」と最終回>
最終回一つ前、76話。
…いやもう……混乱しましたよね。いきなり時間が進んで卒業式。明らかにオールスター出演の大円団の気配が感じられ、「いやいや……これはちょっと、おいおい…?」なんて脂汗浮かべながらページめくったら、「ドーン」で「完」ですよ。
訳分かんなくて放心。読み返しも出来なかったです。

いや、話の内容は分かるんですよ。ドタバタで楽しかったなぁ。…でも、なんで終わるの? まだ話は続けられるじゃないですか、高校編でもいいじゃないですか。「完」っていったい? 「もう少しだけ続く」って…?

凄く都合のいい本音を暴露しますと、掲載誌変更(ジャンプ+とか)や第二部開始みたいに、形を変えて続くのでは…って思ってました。
でも、同時に、掲載誌を変更する理由がないし、第二部にする理由もないって何となく思っていて。
…何より、「完」は何なんだろうと。終わりを告げているのは間違いない…。

 

で。
事ここに至ってみると、最終回1つ前はコメディとしての「完」であり、最終回は「破壊神マグちゃん」という物語の最終回だったのだなぁ、と(青井さんも同じ事言っててなるほど、と)。
ドタバタコメディはドタバタコメディとしてちゃんとまとめを描き、別の回を設けてキャラクター達の人生やその結論を終わらせてあげたかった、という上木先生の気持ちが「完」と最終回にはあったように思うのです。

 

<そして最終回>
ようやく最終回そのものの話になりますが。


恐らくこんな風になるのだろうな、と思ってはいました。ドヤ顔するわけじゃなく、刹那と永遠を生きるものの関係を描く以上、別れは避けられないので。
ダイジェストで描かれる流々とマグちゃんの日々。…細かくツッコミ入れたいところは多々あるのですが(ネタ多過ぎ)、あえて触れません。
時がうつろい、いよいよ最期の時。
いつものように何気ない日々の美しさを伝えるマグちゃん。その後の「まだ」から察するに別れが迫っている事は理解していたのでしょうが、それでも普通の事を繰り返す姿に切なさを覚えます。
だからこそ、「頼む」の一言が余りにも切実。正直、「えっ、マグちゃんはそんな事言わない…」と思ってしまいましたが…。


ページをめくり、大きな目に涙を溜めるマグちゃんの姿に思わずもらい泣き。

 

傲岸不遜さをかなぐり捨て頼みこんででも、流々が失いたくない存在であった事。喪失に耐え切れず初めての涙をこぼしてしまうほどの孤独を感じている事。
それらがあの1コマで強烈に訴えてきました。
耳(?)が垂れ、俯きながらトボトボと歩を進める姿。
小さいながらも常に上から目線だったマグちゃんが初めて(かき氷以外で)見せる落胆の大きさが見て取れます。

 

流々を「軛」って言っちゃうウネさんは…何というか…ドライというか。
大切な人を喪ったのだからその悲しみに共感してくれても…と思いもしますが、これまでも人間と邪神の調整役として振舞ってきた彼女(?)からすると、間違いなく流々は押さえだったのでしょう。だから危機感もあってあの言い方になってるのかなぁ、と。
ある意味、ただ無言で涙を溜めているミュッさまの方が悲しみに共感しているように思えます。


…実際、ウネさんとミュッさまは他の邪神よりも人に関わってしまっているから(対極的ではあるけども)、「こうなる事は分かっていた」のでしょう。
ミュッさまは本来の目的からすると封印には反対してもおかしくないのですが、…きっと、ミュッさまはミュッさまで流々という存在の喪失を悲しみ、マグちゃんの無力感を共有していたのかもしれません。

 

そして、マグちゃんは自ら封印される事を選び。
流々がいない世界に一人居続ける事に耐えられず、初めてでそして最大の悲しみを堪えきれず…死がない故に永劫の封印を望んだのでしょうね…。

 

マグちゃんもここに至るまでの間に、きっと幾つもの別れを経験しているはずなのです。
恐らく、錬もチヌもすでに亡くなっているのでしょう。
57話で轢かれそうになるチヌを身を挺して救ってましたから、チヌにはかなりの思い入れがあったはず。チヌが亡くなる時もやはり落ち込んだり、無力感に苛まれたりしてたんじゃないかな、と。
それでも流々がいたから悲しみを堪えられたし、一人にもならなかった。
…だからこそ、流々がいなくなるという事はマグちゃんにとって、これまでにない喪失になりえたのでしょう。

100年にも満たない、ほんの瞬き程度の時間だったはずなのに、流々がこんなにもマグちゃんを変えてしまった…。

 

事ここに至り、宮薙 流々という少女がいかにとんでもなかったかと気づくのです。
当初、強大な破滅の力を持つ邪神だという事を理解せず、無邪気にマグちゃんを受け入れているだけ(と言っても凄いのですが)なのかと思っていましたが。
ユピススとの会話の中で、実は彼女がマグちゃんを自分と決定的に違う存在だと理解している事が示されました。その上で尚同じように生きようという懐の広さ。
…しかし、言い換えればそれは自分の弱さを補うために、絶対になくならない軸・根拠としてマグちゃんを利用したとも言えるわけで。

その結果、流々は自身の孤独を破壊してもらい、マグちゃんは孤独を得る事になってしまった…。小さな少女は強大な上位存在に癒されない悲しみを与え、無力化してしまったのです。
何と恐れを知らぬ行為でしょうか。

 

ま、その後、「マグちゃんが覚えている」事で流々は「存在」し、マグちゃんの孤独を癒すので、そんな大それた話ではないのですけれども。


再び「マグちゃん」と呼んでくれる人と出会う時、また忙しない日々が始まるのでしょう。
…狂乱食堂が残っているのが、ただ素直に嬉しい。


あぁ、本当に素敵な作品でした。
異文化コミュニケーションの楽しさ、面白さがありました。そして変わっていくことの素晴らしさを見ました。

…色々まだ思う所はありますが、まずは上木先生お疲れ様でした。
追加エピソード、次回作、楽しみにしております。