Ceramic moon Plastic stars

大体漫画とかアニメの感想を書いてます。こう、妄想が溢れそうになった時の受け皿としても活用。

ポンポさんを観ったぞー!

映画「映画大好きポンポさん」を観てきました。

 

面白い。映画として超面白い。


ナタリー可愛いし、画面が超綺麗。
構図や演出に変化を持たせて、話自体はどうしても地味な物語を派手に、ともすれば戦闘シーンかと思わせるほどの迫力を出してました。
…オーラと電流は想像できたとしても、まさか固有結(略
過剰演出といえなくもないんですが、根底にある熱さが「まさにそれ」なもので何ら違和感ありません。
「アニメとしての」楽しさが十分に描写されていました。

 

キャラクターの表情、動きが良かったのも高ポイント。

ジーンの挙動不審さ(猫背で目を合わせて会話できない、など)はアニメならではというか。コミュ障としては見てられないものがありました(苦笑
なのに映画の事になると…っていうのがまさに彼の特異性ではあるのですが、普段とのギャップが大き過ぎて特異性を際立たせる形になってたかな、と。
何せジーンが「どこまでやれるか」というのがこの映画のキモなので、そういう意味では十分以上に役目を果たしていたと思います。
(後でパンフレットを読んで分かりましたが、声優初挑戦の方だったとか。序盤の演技のたどたどしさ(これがコミュ障に感じられる)に納得すると同時に、終盤の演技を思うと「まさに1本の映画の中で成長してるのだ」と戦慄するものがありました)

 

ナタリーはとにかく可愛い(ナタリーの声優さんも初挑戦? マジか…)。
まずキャラデザが可愛いのはあるのですが、線の柔らかさや光の入れ方、表情の多彩さがもうホントに可愛い。今更ですが、萌えと言う他ない。
自信はないけど夢に対しては諦めない、一歩も引かない。周囲の大物と真っ向から渡り合う芯の強さも合わせ、どのシーンで見ても魅力的なのです。
ただ…真人間なんですよねぇ。この作品においては随一の。
だから、彼女がジーンと心を通わせるたび凄く辛くなる。「残念ながら君が好意を抱いている相手は映画しか愛せないヤツなんだよ」、と。
終盤のシーン、ナタリーがホントに可愛くてひたむきだからこそ、ホントに辛かった…。

なんというのかなぁ…。最初っから断言されてるんですけど、「幸せは創造の敵」の人達って幸せになれないのかなぁ、と哀しくなるのでした。
いや、我々とは違う幸せ、楽しさをジーンやポンポさんは手に入れているのでしょうけれど。「同じにはなれない」哀しさというか。
…それでも同じ夢を見れるなら、という幸せがありそうな気もしますが…それもそれで狂気かもしれません(そしてそれをナタリーに感じなくもない…)。

 

そういう意味では、ミスティアさんと和やかに過ごす(実際はハードトレーニングの)日々はホントに癒しでした…。
理想的な大人のブロンド美女(なのに優しいお姉さんのオーラ)が素朴な美少女と一つ屋根の下、とか、もうこれだけで鉄板でしょう。
今回ミスティアさんはそこまでの出番が無いのですが、強烈な存在感を見せてきます。
何せ超美人のセクシー女優というだけでなく…いやいや、ネタバレネタバレ。

 

ポンポさんも当然上手い、というか、「なるほど、こんな感じなのかポンポさんは」と思って、納得。
分かりやすいところでは「ポンポさんがきったぞー!」の言い回しが凄くストンと落ちました。
序盤、ちょっとロリっぽさが目立つように思いましたが、映画作りが本格的に動き出すと彼女のプロデューサーとして、ジーンのチューターとしての落ち着きがジワリと馴染んできて、すっかり安心。
大物プロデューサーの発言をいたずらっ子の表情で口にするのが何とも言えない魅力でした。
ただ1点難を上げるなら、「ポッキュポッキュ」が今一つ分からなかった点でしょうか(聞き逃しただけかもしれませんがw)

 

ブラドックさんはもう…ホントに大物感が凄い。これ完全に声優力だと思うんですが、実存力とでもいうか存在感がバチッと当ててくる。こういう人、シーン、物語、ありそう、観てみたいって思わせる感じです。
どちらかと言うと役者としてのブラドックさんより、「ブラドックさんが演じるダルベール」の説得力が強烈ではありましたが。

 

その他もろもろのキャラクター、物語含め、ホントに面白かった。
この映画のジーンが作った「マイスター」がどんな作品なのか、ホントに観てみたいとも思います(どんな風に編集したのか、を知りたい)。
入場特典もあるので是非もう1回は観たいですね。ナタリー可愛いし(大事な事なので3回言った)。

 

 

あ。

一つ懸念点として。

最後にポンポさんが「あのセリフ」を言ってしまった事がちょっと不安。

あれはむしろ原作2巻の…と思うので、それを言っちゃうと「ポンポさん2」が作られないのでは、と思ってしまいます(せっかくミスティアがあぁ言ってくれてるのに)。

というわけで、是非是非「ポンポさん2」の制作をお願いします(当然3まで)。

 

原作を知らない人も、「創作の面白さと狂気」に触れられる名作、絶対に損はしませんので、是非是非ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…この先ネタバレになるので、まだ映画を観てない方は読まないでください。特に漫画原作を読んだ上で観に行こうと思っている人は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。原作を知らない人が観れば、純粋、かつ完璧に楽しめると思うのです。

 

はっきり言って、映画版「ポンポさん」は漫画版とは別物です。
別の作品になってしまっています。

 

最初に重ねて言っておきますが、映画版「ポンポさん」は面白い。間違いなく。
但しそれは「映画として面白い」という事です。

 

更に細かく言うと、本作品の魅力というか本質は映画製作に賭ける映画人(クリエイター)、ひいてはジーンの狂気を描くことにあるわけですが…映画版でもジーンの「狂気」は描かれています。それが本質です。
ただ、映画版と漫画版では明確に違ってしまっているのです。
これが、どうしても私には引っかかってしまう。

単純に原作を蔑ろにしているのならばそういう作品だった、と割り切ってしまえばいいのですが、「原作を踏襲しつつ、別の狂気にしてしまった」というのが実に悩ましい。

 

具体的に何が異なるのか、というと、端的に言えば映画オリジナルの展開・キャラクターです。
原作ではクランクアップ後、ジーンは楽しい楽しい編集の時間を経て、完成に至るわけですが、映画版ではもうひと悶着起きてしまいます。
「自分自身の映画」の完成に執着するジーンは完成を延期してまで再撮影を望み…そのためにプロデューサーであるポンポさんは根回し、金策に苦心する事に。しかし、監督であるジーンが無名である事が災いし融資の交渉は難航し、あわやお蔵入り…という流れ。

 

ジーンが映画にこだわるあまり何もかもをご破算にしてしまいそうになる辺り、新たな狂気ではあります。この辺はまだ漫画版と大きく異なるとは言えません。
しかし、その後の展開はまさに「映画的」であり、方向性が変わりました。
言ってみれば、たった一人の漫画オタクの狂気が多くの人々に支持されてしまう狂気になってしまったのです。

 

残念ながら、ジーンが元々持っている映画への執着・執念というのはマジョリティに理解されるようなものではありません。マイノリティである彼の作り出した作品が結果的に受け入れられただけです。漫画版では。
しかし、映画ではジーンの執念(その場では狂気とは認識されなかったけれど)そのものに世間の共感が得られてしまった…これは大きな違いだと感じました。

 

そして、漫画版読者が絶対に期待しているあのシーン。あれは……はっきり言って漫画で見た時の衝撃はありません。

いや、原作が漫画として発表された時に仕組まれたギミックがあるので、そもそも映画では同等のインパクトを生む事が出来ませんから、映画に期待する事自体が無茶な話です(もちろん、私には思いつかないだけで天才ならばどうにかできるのかもしれませんが)。
また、恐らく私が思うに、上記の通り、映画版となるにあたり狂気の意味が変わった時点で最大の衝撃になるポイントが変わったのでしょう。だからあえて「あのシーン」をスチルではなく、流れの中の1部として描写したのだと思います。

 

それはつまり、漫画版でのジーン達(ポンポさんを含め)のマイスターを取る目的が「リリー(ナタリー)を最も美しく撮る」であったのに対し、映画版では違う目的になっている、という事を示していると言えるでしょう。

非常に限定された拘りとしての狂気が、映画を、自分自身の作品を作る事への拘りの狂気になったのです。

 

…重ね重ね、それが決して悪い判断だったとは思わないのです。もし私が漫画を読まず、いきなり映画版を観ていたなら、この展開に素直に興奮し「夢を追いかける事がこんなに熱いとは!!」などとコメントしていたと思いますし。
ですが、残念ながら私は漫画版のジーンのどうしようもない「自分自身のための」狂気を知っている。ナタリーの美しさを知っている。
映画版が面白く、またナタリーが非常に魅力的だったからこそ、原作通りの展開であったなら…と思わずにはいられないのです。


…ただ、その場合は上映時間が90分にならないかもしれないのですが(苦笑