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大体漫画とかアニメの感想を書いてます。こう、妄想が溢れそうになった時の受け皿としても活用。

「ドラえもん のび太の新恐竜」の感想

上手くまとまらないので思いつくまま殴り書きします。

 

何が良いって、双子の恐竜が良い。とにかく可愛い。
藤子先生風にディフォルメされたマスコット的な可愛さ、ももちろんあるんですが、それより何より声が恐ろしく可愛い。
のび太の名付けセンスが光る、その名の通りに双子は「キュー」「ミュー」と鳴きます。この声が凄まじく刺さるのです。高音で甘えてる感じが…いや、正直なところ、媚び過ぎやろと。こんな済んだ声で鳴く恐竜ありうるんかと。恐竜リアリティ的に問題あるんじゃないの?…なんて歪んだ大人の心がツッコミ入れたりしてたんですが。
そんな葛藤どうでもよくなるほどに圧倒的な可愛さでした。はい。
声優さん凄いわぁ…。ホントに言語としては全く意味を持たない音のトーンとイントネーションだけでここまでの表現ができるのだから。

 

で。
もちろん、ストーリーも良い。
どうしても「のび太の恐竜」と重ねて見てしまい、オマージュ、もしくはリメイクになってるんじゃないかなぁ、と色眼鏡を通してしまっていたのですが。
全くの新作でした。そして良いオマージュ(え?)。

 

今、恐竜、そして時代の移り変わりとは何か、を描く意欲作です。
そしてある意味「のび太の恐竜」に対するフォローであり、カウンター。2作を並べてみると似て非なる、いやもとい、それぞれを補完するような内容になっていて実に趣深い。

その分、「のび太の恐竜」を知らないと分かりにくい、説明不足かな、と感じる点があるのは否めませんが(旧作ファンへのサービス、と考えればそれでもいいのだけど)。

 

今作でもちゃんと5人が活躍してるのもポイント高い。
ジャイアンは「映画のジャイアン」として決めるところをバッチリ決めてくれるし、スネ夫も臆病で繊細。大事なキーワードを拾ってくれます。
しずかちゃんは…大事な一言を。

のび太とキューの触れ合いが描いたものは、種を超えた絆であり、そして「そのままの君でいい」と受け入れ、受け止める事の大切さ。
特にキューの秘密(というか設定)が重なってくるあたりは物凄い説得力ですし、シナリオ構成的には「なるほど!」と膝を打つ完成度の高さです。

そして、キューやのび太達が迫る危機を乗り越えようと必死で頑張る姿、これはもう「脚本的にそうなると分かっていても」(分析厨の哀しいサガ)、それでも涙が出てくる熱いものでした。

子供が観ても楽しいし胸に迫るものがある。大人が観れば考えさせられるものがある。素晴らしい映画でした。

 

 

 

 

 

 


以下ネタバレですが。


何が一番泣けるって、追い詰められて死んでしまうような状況になっても飛べなかった(飛ぶことを諦めてしまった)キューが、のび太を救うために飛び上がる、ってとこですよ。
嫌らしい話ですが、「そうならなきゃ面白くない」と思い、予想し、そしてその通りになった結果ではあったのですが、何度も何度も落ちては、それでも飛び上がろうとする必死さに、つい「頑張れ」と応援してしまったのでした。
この迫力は演出の妙でもありますし、やはり声優さんの演技力の賜物かなぁと。

 

更には、まさに「世界の終わり」が迫るあの光景の絶望感。何もかもが燃えて尽きてしまう、という恐怖の中で走り続ける子供達。
ちょっと想像してみたら立ち竦み、あるいは蹲ってしまいそう。実際に熱波に呑まれかけもして…このスリルとカタルシスはアニメと侮れないものがあったのではないでしょうか。

 

個人的にもっとしっかり描写してほしかったのはタイムパトロールの存在でしょうか。
悪役としてのミスリードが必要なので、露骨に描くのが難しかったのだとは思いますが、本来「タイムパトロールは良い人達」であり、「彼らの行いは時代の秩序を守る正しい事なのだ」と説明しておかないと、のび太が行った事がとんでもない事なのだと気づけません。
…もちろん、これまでの大長編ドラえもんを見ていればタイムパトロールが善(少なくとも秩序に属する勢力)である事は分かるのですが。そして同時に「のび太の恐竜」と真逆の構図になっている面白さが分かるのですが。

 

そう。本作はこれまでタブーとされてきた「歴史を変えてはいけない」という鉄則に立ち向かった物語です。
守りたいもののために歴史を、世界を変えてしまう、という物語。

但し、「真正面から立ち向かった」とは言えません。
何故なら、世界は変わらなかったのだから。それこそが正しいと保障された選択として描かれたから。
世界と一つの命を天秤にかける事はしていないのです。

 

…とはいえ。
流石にこのテーマをのび太に背負わせるのは余りに酷です。ミッシングリンクを考慮しないのであれば、白亜紀で恐竜を絶滅させない、という選択は人間という種の誕生・繁栄すら否定するかもしれない可能性があるのですから。
思考実験としては一考の余地がありますが、そんな結末、エンターテインメントとして面白いものでしょうか…?
そう考えると、私はよくできた脚本だと思うのです。

 

ただ、同時に。「ドラえもん」の世界にとんでもない設定を付与してしまった、とも感じています。
つまり、「この世界は、のび太(達)によって作られた」(のび太の存在なしには形成されなかった)という…。

 

のび太がいつか、この事実に気づくことがなければいいな、と願うばかりです。

 


更に余談。

とはいえ。
単純にピー助らしき影が出てきて嬉しかったりするw