Ceramic moon Plastic stars

大体漫画とかアニメの感想を書いてます。こう、妄想が溢れそうになった時の受け皿としても活用。

ひたすら可哀想。

今更「JOKER」観てきました。
中毒性とか周回率が高いということなので、何となく。あと、色々私生活でストレス溜まりまくってるので(?)。

 

事前情報はなし…とはいえ、あらすじというか「どういう作品であるか」は言わずもがな。むしろ全く何も知らずに観る人の方が少ないんじゃないでしょうか。
つまりは「バットマン」(ダークナイト)のヴィラン(悪役)である「ジョーカー」の誕生秘話、前日譚ですから、たどり着く結末は分かっているわけです。
ちなみに、私はバットマンシリーズ全くの未見。それどころかDC作品すら、まったく(幼少期にスーパーマンを観たかもしれない)。
そんなわけなので、世界観というか細かいギミックや小ネタは気づかず(気づけず)に観たことをご了承ください。

 

感想としましては。

 

もう一度観たいかと問われれば、「うーん…」って感じ。

 

いや、決してつまらないわけじゃない。むしろ2時間がっつり引き込まれてました。面白い、とはとても言えないけど、名作だとは思う。好きか嫌いかで問われれば、好き。
でも、あのアーサーのどうしようもなく切ない笑顔をもう一度見たくはない、かなという回答をせざるを得ないんですよねぇ…。

 

 

以下ネタバレあり。

 

 

 

 

中毒性がある、と評されるのも何となくわかります。
これでもかとばかりに虐げられる主人公・アーサーがガツン、ガツン、と衝撃的に「やり返す」シーン、そして「ジョーカー」としての覚醒にはカタルシスがあります。
反撃・リベンジ、やられたらやり返す…いつまでも弱いままじゃない、ひっくり返してやる…そんな解放感。
実際、アーサーを傷つけたものは悉く命を落としてますし(あ、いや、あいつらが以下略)。
いわばこれは、いじめられっ子が何かしら特別な力を手に入れていじめっ子に反撃する構図、ヒーローものの定番と同じです。ただ、解放する方向性が真逆(倫理に悖るか否か)ってだけ。

 

それを否定するわけではないのですが、これがあくまでも「JOKER」だから受け入れられるんだろうなぁ、と。
全くバックボーンがない、「主人公が悪堕ちしますよ」と明言されていない作品であったなら、賛否両論沸き起こっていたでしょう。…いや、別にそれはそれで…うーん。

 

ホントにもう、見てるのが辛かった。ただでさえ陰鬱な風景の中、(精神的にも、物理的にも)殴られ、踏みつけられ、誰にも顧みられず、打ちひしがれていくアーサー。そんな彼がそれでも笑っているのがどうしようもなく辛かった。例え目に見える笑いが障害のせいだとしても、彼の心と行いは間違いなく(自分だけに限らず)笑顔を求めていたというのに。
願っても願ってもそれが叶わない、立ち上がっても殴りつけ叩きつけられる。その繰り返しがどれほど彼の心をへし折る事か。
誰も、何も、彼に優しくしてくれない。ただの一つも支えになるものがない…。
メタな観客視点としましては、彼が悪のカリスマになる事はもはやわかっていますので、「もういい。もう十分にアーサーは絶望した。だから早くジョーカーになってくれ…」と胃が痛くなる思いでした。

 

それでも容赦なく、「あの世界」は彼の存在、居場所、未来を打ち砕きにきたわけですが。

 

私は(本作の)「ジョーカー」を悪と言い切れません。
行為と思想を認めるわけにはいかないけれど、彼の痛みと苦しみと悲しみ、そしてそれが裏返った怒りをどうして間違っていると否定できるでしょうか。いったいどれだけの人が彼と同じ境遇にあった時、自分は引き金を引かないと言い切れるでしょうか。

また、ジョーカーは狂気の人ではありません。何故なら害するべき人、ものを選んでいるから。恐怖と殺意に溢れた場ですら、ただ一人優しかったゲイリーを見逃した彼には良心があったと思うのです(それこそが「普通に考えたらあり得ない」狂気かもしれませんが)。
彼の凶行は全て、どうしようもないやるせなさと怒りに突き動かされてるように見えました。


脚本・キャラクターから別の点をみますと。
とにかくホアキン・フェニックスの演技が秀逸。
人生にくたびれた中年男の表情、顔付きが、初見の時点で切ない。皺、ぼさぼさの髪、疲れ切った目。
それでも笑顔を作り、おどけて見せる振る舞いの悉くに不器用さが滲み出ていて痛々しいったら。
それでいて折々に見せる怪しい動きやダンスが精神の不安定さを覗かせ、不気味さを感じさせます。

 

個人的にはライブハウスのステージが最高にきつかった。
頑張っているのにどうしても上手くいかないもどかしさ。笑いながら苦しんでいる姿が本当にきつく、生き地獄、という単語が脳裏をよぎります。そして…。

(余談:ライブハウスのオーナーはネタを見もしないでステージに上げちゃうの? だったらマレーのツッコミは正しいわー)

 

もちろんロバート・デ・ニーロもうまかったと思いますが、とにかくアーサー=ホアキン・フェニックスが全部持っていきましたねぇ(主役だから)。

 

それからゴッサムシティの景色も説得力が高くて素晴らしい。「ジョーカー」が生まれ得る理由を訴えてくるようです。
至る所にゴミの山、落書き、崩れそうな壁…。10数年後にはバットモービルが走り回る街とはとても思えませんw
住人たちは皆息苦しそうで陰鬱、聞こえてくるのは嘲笑ばかり。…笑い声はブラウン管の向こうだけ。
だからこそ、アーサーはコメディアンを夢見たのかもしれない、な、なんて。


そんなこんなで「JOKER」。
どこかの誰かが「誰もがジョーカーになりうる」という評をされていましたが、なるほど確かにと頷いている私がいます(カリスマにはなれないだろうけど)。
「あぁ面白かった」「つまらなかった」だけでなく、何か自分の胸に手を当てて思うものがあるような、そんな感じ。

そしてふと思った事は、「私はジョーカーになりたくない、誰かをジョーカーにしたくないと思うのなら、たった一つの支えを得て、最初の一つの支えになれればいいのだよな」と。