Ceramic moon Plastic stars

大体漫画とかアニメの感想を書いてます。こう、妄想が溢れそうになった時の受け皿としても活用。

クリエイターになれなかった男

 「虹にのれなかった男」っていうガンダム漫画が面白いので、皆是非読んでほしいな、って軽いステマから入りつつ。

 

 私はクリエイターになりたかった。何かを作り出す人に。消費するだけでなく、与えられたものを甘受するだけでなく、自らが生み出したものを提供し、それで日々の糧を得られる人になりたかった。

 過去形で書いているのはつまり、「自分が物を作る側の人間ではない」と悟ったから。

 悟った理由は色々あります。

 技術がない。

 才能がない。

 時間がない。

 何より努力する気がない。

 

 いや、それ以前に。

 

 自分の中から出てくる「伝えたい何か」がない。

 

 技術も才能も時間も努力も、どれも大事なものなんですが、とにかく自分の中に何もない、って事に気づいてしまうとこれは致命的です。もうクリエイターにはなれません。

 もちろん、自ら作りたいものがなかったとしても、物を作ることはできるのですが、誰かに「これを作って」と依頼されて物を作る、というのはクリエイターの仕事ではありません(と考えてる)。エンジニア(技術者)、もしくはワーカー(労働者)の仕事です。

 未だ世の中にない新しい価値を生み出してこそ、クリエイターたりえると私は考えているわけです。

 

 では何故「伝えたい何か」がない、なんてことになるのか。

 一つは想像力の欠如。妄想はよくやりますが、この妄想もすでに出来上がってるフォーマットに合わせて設定を摩り替えているだけで、自前で作り上げたものではありません。少なくとも世の中に垂れ流すほどの価値はない。

 もう一つは「伝えたい何か」を生み出す苦労も楽しさも知らないから。上述の通り、自分で一から考えなくても妄想は出来るのです。極論、誰かが作ってくれた燃え(萌え)るネタを手に入れれば、それだけで満足できるわけで…とっても、簡単、だ。

 

 

 前置きが長くなりましたが(え、ここまで前置き?)、最近の若者・世間の「ものづくり」に対する意識の低さは「ものを作る喜び」を知らない、というところにもあるんじゃないかなぁ、と思うわけです。

 兎にも角にも今や世の中は「完成品」で溢れており、自分で作らないと欲しいものが手に入らない、というケースはほとんどありません。かつては垂涎の的だったフィギュアだってガレキじゃなく塗装済みの完成品が購入できるようになりました。

 そんな状況下でわざわざ自分の手を汚して、時間を注ぎ込んで、自分だけの作品を作ろう、なんていうのは少数派の考えになってしまうのもしょうがないことではないでしょうか。誰だって楽がしたいもの。

 

 転じて。

 「苦労する」事の魅力が喪われている、とも言えるんじゃないかなぁ、と。

 例えば、いちいちパーツをランナーから切り離して、塗装して、組み立てて…という手間をかけてこだわりを込めていく、という「形にならない価値」が認められていないように思います。

 

 結局の所、成果や結果のみが求められ、その過程と結果の先に目指す可能性が無視されてる、という精神論にも似た結論が出てしまうのですが…。

 

 

 そういう考えもあり、「ガンダムビルドファイターズ」の続編に「モデルライフの強調」を残響さんが求められてる事には、正直目から鱗の心境でした。

http://yoshimitaka.hatenablog.com/entries/2014/04/23

(最終コメントより)

 

 確かにアニメ作品として、趣味の要素を描きすぎるのは一般の視聴者に対してハードルを上げる事になりかねません。端的に言って「ガンプラオタウゼェwwww」的な感想を持たれかねない。

 でも、それでも、そういう側面をもっと描いて欲しい。ガンプラを作る事はこんなにも楽しい事なんだと言って欲しい…そう思わせるだけの作品ではあるのです。非常に難しい事ではあるのですけれど…。

 

 

 ものづくりの楽しさをすっかり忘れてる私でも、「ちょっとガンプラ買って組んでみようかな」と思ってはいるのです。